近年のスマートデバイスにおける顔認証技術の進化は目覚ましく、中でもAppleの「Face ID」はその象徴的存在です。その精度と安全性を支えるのが、TrueDepthカメラであり、顔の立体構造を読み取る「構造化光(structured light)」という技術です。
2025年5月、Appleは、「MOE(Metasurface Optical Element)を用いた超小型・高性能なプロジェクター」に関する特許(US12313812B2)を取得しました。これはMOEという新しい素子を使った技術で、次世代Face IDの基盤技術になると期待されています。
この記事では、Appleの特許をもとに、このMOE技術とその応用可能性について詳しく解説します。
Face IDの構造化光技術とその課題
現在のFace IDでは、VCSEL(垂直共振器面発光レーザー)から出力された赤外線レーザー光を、DOE(回折光学素子)とレンズによって分割・整形し、顔にドットパターンとして投影しています。このパターンの歪みから顔の立体形状を計算し、認証を行う仕組みです。
しかし、現行の光学構成は、複数の光学素子を必要とし、設計や製造が複雑になるという課題がありました。また、小型化が進むモバイルデバイスでは、限られたスペースに複雑な光学系を搭載するのが技術的ハードルになっていました。
MOEとは何か? ─ 構造光投影を1枚で完結
Appleが提案する新しい構成では、「MOE(メタサーフェス光学素子:Metasurface Optical Element)」というナノスケールの光学素子を活用します。
MOE(メタサーフェス光学素子)とは、光の波長よりも小さな人工構造である「メタ原子」が、基板材料の2次元平面上に配列された光学デバイスです。光の透過率、位相、偏向、波面を制御することができ、既存の光学素子にはない光学特性を持った素子や、1枚の光学素子で複雑な光学機能(例えば、ビームの整形(コリメーション)、分割(ビームスプリッティング)、傾斜(チルト))を実現できます。
AppleのMOEは、VCSELアレイから出た光を「コリメート(平行化)」しながら「複数のサブビームに分割」し、かつ「一定角度に傾けて」顔に投影するという3つの操作を、1枚のメタサーフェス上で同時に行います。
この統合により、以下の利点が生まれます
- モジュールの大幅な小型化
- 部品点数の削減
- 組立精度の簡略化
- 製造コストの低減
図面で見る技術構成
Fig.1, Fig.2:カメラとプロジェクターの統合構成
• Fig.1では、VCSELとMOEを組み合わせた照射モジュール(104)と、カメラ(102)が横並びに配置されています。MOEによって光が傾けられ(angular tilt)、対象物(108)上にスポットパターン(114)が投影されます。投影パターンはカメラの視野(FOV)(110)全体に届くよう設計されています。
• Fig.2では、逆にカメラ側の視野がMOEによってチルトされており、投影パターンと一致するように調整されています。


Fig.3A, 3B, 4A, 4B:プロジェクションモジュールの詳細
投影ユニットは、スポット照射用とフラッド照射用の2つのVCSELアレイ(204, 206)を内蔵しています。
• Fig.3A, 3Bでは、それぞれのVCSEL(222, 224)の上に専用のMOE(208, 214)が載せられており、2種の照明を切り替えることが可能です。
• Fig.4A, 4Bでは、2つのMOE(212, 218)を1枚の基板(302)に集約した「複合型MOE(304)」が示されており、さらに省スペース化が図られています。


Fig.5A, 5B:スポット照射とフラッド照射の切り替え
• Fig.5Aは、スポット照射です。各VCSEL(222)から出たビームがMOE(208)によって複数のサブビーム(406)に分割・整形され、顔にドットパターン(114)が投影されます。
• Fig.5Bは、フラッド照射です。光が均質化ビーム(414)に拡散されて均一な照明(116)として顔全体を照らし出します。(フラッド照射とは、光源が均一な明るさで広い範囲を照らす照射方法のことです。)

Fig.6:MOEのナノ構造
• MOEは直径数百ナノメートルのシリコン製の柱状構造体(504)で構成されており、それぞれの柱(ピラー)の太さによって光の位相が制御されます。各ピラーの直径は、光波に与える位相変化に基づき、シミュレーション結果から最適化されています。

フェーズ関数とビーム制御:Appleの光学演算の工夫
AppleのMOEは、以下3つの関数を合成することで、1つの素子が複数の光学効果を実現します。
- レンズ効果(焦点制御):光を収束または平行化
- チルト効果(方向制御):ビームの投影方向を調整
- ビームスプリット効果:光を複数のサブビームに分割
これらは以下のような光学的位相関数として数式化され、それを元にナノピラーの配置と寸法が設計されます。

これらのMOEは、フォトリソグラフィによって製造されており、サイドウォール角度や高さの誤差も設計に考慮されています。
今後の展望:MOEが切り開く次世代Face IDとARの可能性
MOE技術は、Face IDに限らず、以下のような応用が期待されます。
- スマートグラス向けの小型深度センサー
- AR/VRヘッドセットにおける高精度トラッキング
- スマートウォッチやウェアラブルのジェスチャー入力
特にARグラスでは、従来の光学センサーを搭載するスペースが限られるため、MOEによる薄型・軽量化の恩恵は非常に大きくなります。
まとめ
Appleの今回の特許は、「MOEをベースに光学素子を1枚に統合する」という先端技術により実現されています。ナノスケールの構造で光を自在に操るこの技術は、Face IDの小型化だけでなく、AR時代の重要技術になりうるでしょう。
最後までお読みいただきありがとうございました。
特許情報
特許番号:US 12313812 B2
タイトル:MOE-based Illumination Projector
発明者:Roei Remez, Moshe Kriman, Yuval Tsur, Maoz Ovadia, Yaron Gross, Omer Eden, Alex Pekin, Assaf Avraham, Roey Zuitlin, Gidi Lasovski, Refael Della Pergola
出願人:Apple Inc.
登録日:2025/5/27
出願日:2023/4/27
特許の詳細については、US12313812B2を参照してください。
【参考記事】[Patently Apple] (https://www.patentlyapple.com)
※企業の特許は、製品になるものも、ならないものも、どちらも出願されます。今回紹介した特許が製品になるかどうか現時点では不明です。ご注意ください。